麻雀は賭けてなんぼ

賭けなくても麻雀は面白い、賭け麻雀廃止を叫ぶ輩がいるが、このクソゲーは賭けてなんぼではないか。

大体賭けなくても面白いとか言ってる連中は負け組であることが多く、金は払いたくないけれども麻雀はしたいという連中ばかりだ。

そんな連中にノーレートでつきあわされる身になってみれば、たまったものではない。

勝ち組が負け組に対して、自分が勝つのだからノーレートで付き合ってやるというのは強者の好意であるが、負け組がノーレートを打ち出すのはふざけるなという話である。

賭け麻雀反対の根底には法律違反というものがあるのだろうが、実際にはそんなものは有名無実で仲間内でやる分にはあってないようなものである。

仲間同士でのギャンブルは人間関係を悪くすると言うのだろうが、麻雀程度の小銭で破綻するようであれば、その程度の中ということであり、麻雀を打つ資格が無いのではないか。

赤の他人は赤の他人で金銭トラブルに発展するのが嫌だというのだろうが、金を賭けない麻雀というのは責任を持たない麻雀だ。

ノーレートでもハイレベルの勝負ができるというのは、余程のことがなければできないものだ。

小銭程度で人間関係が破綻するような連中とは、まず打つことができないだろう。

結局、何かしらの痛みを伴わなければ人間というのは適当に打つもので、ノーレートならノーレートなりの不満を抱くことになる。

いくらばかりかの金がかかっていれば、いい加減なことをすれば自分が損するだけだし、適当な打ち方をするやつがいても自分が得すると思えるので、相手のヘボを許すことができるものだ。

面子が揃えばノーレートだろうがオンレートだろうが、レベルの高い麻雀ができるのは事実だが、現実的にはそのような四人が揃うことがない以上、最低限の質を担保するには賭けるのが最も手っ取り早い。

それでも賭けるのはつまらない、賭けなくても麻雀は面白いと主張をするかも知れないが、それだったら麻雀よりももっと面白いゲームがあるのではないかと思う。

ダラダラ一時間もかけて緊張感もなにもない半荘をするよりも、七並べや大富豪をした方が余程楽しい。

これはもちろん、個人の好みがあるから賭けなくても麻雀の方が面白いというのは、人それぞれで良いのだが、オーラスで絶望的な差がついた時に国士の三向聴から親リーに無筋のドラを切り飛ばすのが麻雀なのかという話になる。

あるいは何もかかっていないのだから、何の目標も持たずに食い散らかして1000点和了ってラス確というのもある。

賭けていたら少なくとも痛みを伴うような暴牌は減るし、無駄なラス確も減る。

ラス確があったとしても、その打ち手にとっては損失を最小限に抑えるために意味がある行為なわけだから、意味のないあがりというのも減ることになる。

それでもラス確されるのは面白くなくても、それが損な行為であれば上位の打ち手にはいくらかのメリットがあるわけだから、納得できるゲームになるのだ。

結論を言えば麻雀をする人間の民度というのは、極めて低いため金で清算をする形にするのが一番手っ取り早く公平なものになるということである。