コロンブスの卵にみるコロンブスの特異性

今日ではコロンブスはクズ野郎だったということは周知の事実だが、それを端的に表しているのは、超有名なコロンブスの卵であろう。

西に進んでればいずれ大陸が見つかるという指摘に対して、コロンブスは卵を立ててみろという。

周りの人間はどうにか丸い卵を立たせようとするものの上手くは行かない。

そこで、コロンブスは卵の底を割って立たせて、こんな簡単なこともできないのかと言い放つわけだが、これはどう考えてもおかしなことである。

特別な条件がないので卵を割ってはいけないというのはそのとおりかも知れないが、常識的に考えれば条件がなければ、卵は割ってはいけないと考えるものだ。

割ってしまえば卵としての価値が下がってしまうわけだから、立たせる前の状態の卵と割った卵は別物と考えることもできる。

周りの人間はいかにそのままの状態で卵を立たせようと苦心しているのに、底を割って立たせて簡単なことだというのは、かなり異常なことである。

言い換えるのであれば、大陸を見つけるのは西に進めばいずれは見つかる。しかし、そのために多大なリスクを負うわけには行かないので、いかに安全に西進をすることができるかで皆は頭を悩めているところに、何個卵が割れようがその内に一個が立てば良いとばかりにリスクを負うのがコロンブスだ。

ひとりだけの話であれば勝手にしろという話ではあるが、航海はひとりではできない以上、多くの道連れを生み出すことになる。

他者を巻き込むにもかかわらず、卵は割ってもいいと考えているコロンブスの思考はサイコパスの何者でもない。

今では柔軟な発想を持つコロンブスと頭の硬い愚民のように語られるが、行動力のある馬鹿は結果的に良いことがあっても、トータルではマイナスの存在にしかならないという教訓が正しいのではないだろうか。

実はこの話コロンブスではなく、イタリアの建築家フィリッポ・ブルネレスキの逸話を流用した話とも言われている。

こちらは聖堂のドーム部分を作るために、どうすれば良いのか皆が難儀しているところで、フィリッポ・ブルネレスキは自分ならできると何の証拠も出さずに立候補をした。

すると、周りは大反対でそれならば大理石の上に卵を立てられる人間に建築を任せようとフィリッポ・ブルネレスキが言い出したのだが、誰一人として卵を立てることができなかった。

そこで、コロンブスの卵の話同様に底を割って卵を立てたというわけだが、これも反対した周囲の人間のほうがずっとまともであろう。

卵を破壊してでも立たせることができればそれでいいという考えの人間に、聖堂のドーム部分を任せるなど危険すぎるし、自殺行為でしかない。

他の建築家が大反対をしたというのも、フィリッポ・ブルネレスキのこのような危険な思考を知っていたからなのではないだろうか。

フィリッポ・ブルネレスキが天才だったとしても、こいつは何をしでかすかわからないというやつに仕事を任せることはできない。

柔軟な発想は大事だが説得力を持たなければ、単なる危険人物でしかないのだ。

結果的には周りが凡愚だったように見えてしまうが、賢明な判断をしていたのは周りの人間であり、種の保存の観点から言えば、手堅い選択を選ぶほうが生存戦略には有利だと言えるだろう。