ヘッドスライディングの無意味さ

もちろん、打者走者が一塁に向かう時に行うヘッドスライディングのことである。

昔から駆け抜けたほうが早いと言われてきたが、最近では実はヘッドスライディングの方が早かったなんて話もある。

実際のところどうなのかという話ではあるが、そもそもその程度の差しかない時点でヘッドスライディングは無意味ということになるのだ。

はっきりと優位な差があれば、何も言うまでもなくどちらかのほうが早いと断言できるわけだから、微妙な差しか無いのであれば、デメリットの分だけ意味がないことになる。

ヘッドスライディングは様々なリスクを冒した上でほんの僅かに一塁到達が早くなるかも知れないというメリットを受け取るに過ぎない。

それが有効な局面が一試合の内にどれだけあることだろうか。

これが例えば日本シリーズの優勝がかかった瞬間で一塁に到達するのが早ければ優勝という局面であれば、ギリギリのタイミングなら価値があるかも知れない。

また、ヒットを一本でも稼がなければ首が危ういような選手であれば、ヒットを打たなければ首になってしまうわけだから、怪我諸々のリスクを考えても多少の価値はあると言える。

このように極めて限定的な局面でのみ有効になる戦術というのは、それ以外の場面では無意味どころかマイナスでしかないのだ。

それでも、プロ野球であれば興行的な側面があるわけだから、あえて魅せるためのプレーとしてヘッドスライディングを行う選手がいるのもそれはそれで良しかも知れない。

しかし、高校野球となると魅せるためにプレーをしているわけではないのだから、ヘッドスライディングをするのは敗退行為でしか無いと言えるだろう。

がむしゃらになってプレーをする上で思わず飛びついてしまったということもあるかも知れないが、それが最善にならない以上は敗退行為であり、怠慢プレーだ。

とっさのことだから取り立てて糾弾する必要はないが、美談として扱うのはおかしな話。

怪我をして困るのは本人だし、周りだって怪我人が出るのは気分がいいものではない。

高校野球が教育だというのであれば、無駄なヘッドスライディングは指導者が禁止をさせるべきではないだろうか。

レアケースで得をするために、多くの犠牲を払うようなことは冷静に考えなくても無駄なことだとわかる。

注意一秒怪我一生。得かどうかもわからないほんの少し早くベースに到達するためだけに、怪我をして後悔をするようなことがあってからでは遅い。