Googleは天才を殺す

ブログを書いていると、自分の文章力のなさにほとほと嫌気がさす。

三行で終わるようなことをダラダラ書いて、それでいてまとまりもなく結論もない無駄な文章しか書くことができます。

天才というのは短く簡潔でわかりやすい文章を書くものだが、Googleの評価で言えば逆になる。

中身のない文章を書いていて、なんとなく中身がありそうな雰囲気であれば、有意義な情報として認定をするためだ。

ほんの少し前までは、一つのページに含まれる情報量は600文字程度が良いとされていたように記憶しているが、いまでは猫も杓子もGoogleのご機嫌を伺うために、必要もない情報をダラダラと書き連ねて検索の上位に引っかかるためだけの文章を書く連中ばかりだ。

ほんの僅かな300-600文字程度の結論を知りたいにもかかわらず、Googleの狂った評価のおかげで見たくもない数千字のページに目を通さなければ行けないというのは迷惑きわまりない。

おかげで文章を短く簡潔にまとめることができる天才は殺されることになり、中身のない文章をダラダラとシェイクスピアのサルのごとくタイピングすることができるものが生き残るとはなんとも悲劇的なものだ。

もっとも、このようなことになってしまったのも、短文でもGoogleの上位に検索で引っかかっていた時代があったからこその話で、その頃は短文でさらに中身のないしょーもない文章が反乱していたから、仕方なく情報量の多さで内容の有無を判定するという今の仕組みになったのだろう。

しかし、現状では人間がチェックせずに機械がチェックする仕組みである以上は、このようなことをしても結局は中身のないものばかりが上位にヒットしてしまうことになる。

今のAIの限界であり、あと少しすればもっと精密な判定をすることができるようになるのであろうが、現代は天才が殺されていく暗黒時代ではないだろうか。

多数の天才が虐殺されたことで、これから先Googleの評価方法の見直しが入った時に、すでにまともな文章をかける人材がいなくなっていたということを願うばかりだ。

いや、むしろ凡愚しか残らずにインターネットの終焉が訪れたほうが、人類にとっては平和だったりするかも知れないね。