萬子の清一色がわからないことならあるかも知れない
片山まさゆきの打姫オバカミーコ6巻にて、プロとしての知識があるか再テストを受けるという話があり、そこでミーコが索子の清一色に対して、萬子ならわかるのにと言ってるページがある。
清一色がわかるわからないに色は関係ないというネタなのだろうが、萬子に限ってはわからない、あるいは分かりづらいということがあるかも知れない。
筒子と索子というのは、丸あるいは竹が個数分刻まれているのに対して、萬子は文字という違いがある。
文字という概念はもともと自然界にはなかったわけで、人間があとから生み出した概念だ。
動物は数を数えることができなかったとしても、単純に個数が多いものであればその方が多いものだということは認識できる、あるいは認識できうる可能性は高いだろう。
少なくとも一から九までの文字を見て、大小を比較するよりは単純に個数が描かれている方が数として認識をすることができるはずだ。
人間ももともと野生動物であったことを考えると、ワンピンソーでは認識に僅かな差が出てもおかしくはない。
萬子のみ漢数字で書かれていることから、それを数に変換をするためにはワンクッション置く必要があり、それによって萬子の清一色のみわかりにくいということが起こりうる可能性があるということだ。
もちろん、清一色はほとんど形で覚えるようなものであるから、マスターしている人であれば色の違いというのはほぼ存在しないので、清一色がわかるかどうかが一番の焦点になるわけだが、マスターをするまでには色によって得意不得意が発生する可能性は十分にあるのではないだろうか。
逆に頭の中で一旦、数に置き換えることによって並べ替えがしやすいという人であれば、萬子の方がわかりやすいということもあり得る。(ミーコは間違いなくそのタイプではないと思うが)
筒子や索子は数として認識をしやすい一方で、ごちゃごちゃしているので逆に区別をしづらくなってしまうこともあるかも知れない。(ただし、萬子も一から三までは棒の数の違いだけなので、この辺だけでいうならワンピンソーは条件は同じかも)
慣れの問題でしかないわけだが、厳密に言うのであれば脳の仕組み上、色の違いで処理の差が生まれることは十分でありえる話で、色によって清一色がわかるわかりづらいもおこりえるということだ。
こんなところからも人間がサルから進化をした過程を感じ取ることができるのかも知れないね。
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